2012茜真会 橋本関雪記念館と京都巡り

今年の初め、滴仙会の新年会の帰り道に、
「社中の先生方より京都の橋本関雪記念館 白沙村荘へ
茜堂先生と会員の皆さんで行けませんか?」
というご提案を頂き、
春の桜の季節か、秋の紅葉か?
と悩み、皆さんにアンケートを取らせていただきました。

そして、多數のご意見で秋開催に決定!

春先に、バスで紅葉の京都へ行く!この事に重点をおき、
何かとお世話をして頂いております室田先生に企画と幹事を丸投げし、

季節は夏を過ぎ…….

9月になり、日展の作品も提出し、一段落した頃、
室田先生よりバス旅行のスケジュールの提案が届きました。
私は全くもって京都はわかりませんので、全てお任せし
「茜真会 橋本関雪記念館 白沙村荘と京都巡り」と題し、
京都バス旅行のご案内を作成!

総勢25名の参加で
平成24年12月2日日曜日いざ京都へ

12月2日 午前8時15分神戸市中央区役所南にて集合予定!

当初、ご案内の予定表では神戸そごうの山側に集合でしたが、
バスの停車場の都合で区役所の南に変更!
茜堂先生に皆さんに伝えて下さいね!とお願いしました。

しかし、
元町読売教室の角田先生は当初の予定のそごう山側で待ち、
早々に異変に気付き、茜堂宅に電話し、
変更された集合場所に無事合流されたそうです。

やはり連絡が…….伝わっていませんでした。すみません!

予定の午前8時30分出発の時間が近づき、まもなく出発!

のはずですが?1人現れない?なぜ?

もう一人変更連絡を伝へられなかった沖田先生が……..

そごう前より猛ダッシュ!

無事定刻に三宮を出発出来ました。

波乱含みなスタートで、少し心配の予感!

阪神高速 生田川より高速道路へ名神高速道路を使い京都へ。

予想された渋滞もなく、京都市内もスムーズに運航!

無事、定刻30分前の午前10時に、一カ所目の詩仙堂へ

ここで、宮田君が合流!
毎朝京都の料亭に新鮮な魚を卸すお仕事のようで、
一仕事終えての観光スタートです。

老体には少しきつい上り坂を克服し、詩仙堂の入口へ。

期待していた紅葉は一週間前がピークで、少し残念な景色でした。
肉眼で見るより後からの写真の方が、綺麗でしたが……

ここで詩仙堂について簡単にご説明を……

詩仙堂
詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。
詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) という。凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。 丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てた。

集合写真も撮り、次はメインの橋本関雪記念館 白沙村荘へ

予定の通り、11時20分頃には
橋本関雪記念館 白沙村荘に到着しそうでしたが、
バスの駐車場の問題で、一旦入った銀閣寺の駐車場をもう一度出て、
京都市内をもう一周すること10分後、
折角の時間を無駄にし、無事到着!

白沙村荘に到着し、すぐに昼食!
なにやら早速説明して頂いています方は、
こちらの橋本関雪の曾孫で副館長の橋本眞次様です。

今回のバス旅行のメインの場所はココです。

なぜ?ここなのか!

私は今回がはじめてですが、
父の茜堂はここ数年、毎年 「書論」という集まりでお邪魔しているようです。
その都度、橋本関雪が収集した書画骨董をこちらで拝見させて頂き、
何度か、お勉強をさせて頂いたとか…..
その時に、食事会の白沙村荘 瑞米山にて、
中国の明の書家 張◯◯の3メートル程の扁額が
欄間に掛けてあるとのお話し、床の間には王◯の書が掛けられ!
そんな中での食事会、滅多に出来ない事です。

そして今回のメイン企画として、上記のようなことが茜真会で出来ないか?
ということで、8月の熱い中、
西本茜堂、室田清葉、松山悠翠の3名の先生が「書論」に参加して頂き、
この京都バス旅行にて、
西本社中で古典臨書の中心、
中国明清の書家達の作品を拝見しながらの会食を出来ないか?
と言う無理なお願いを、館長、副館長にお願いし、この日がむかえられました。

ついに、湯豆富会席を戴きながら、作品を拝見です。????

あれ!作品が掛かっていません?なぜ?

室田先生が数日前より副館長の橋本眞次様とメールでやりとりし、
床の間には、あの我が社中のメイン古典の倪◯◯の作品を掛けて頂ける。
そして欄間には常に掛けてあるはずの、張◯◯の3メートル程の扁額がない!

なんで〜?どういうこと?

謎はすぐに……副館長の橋本眞次様よりご説明頂けました。

別棟の大画室 存古楼にて、
お約束の作品とその他明清時代の書家の作品を用意しております。
とのことでした。

名品を観賞しながらの食事会は実現しませんでしたが、
思わぬ、先方のお取り計らいでした。

ゆっくり観賞しながらの昼食〜庭園散策〜銀閣寺へという予定でしたが、
急いで湯豆富会席〜名品鑑賞〜庭園散策〜銀閣寺へ予定変更です。

急いで昼食を済まし、庭園を通り抜け別棟の大画室 存古楼へ!

おお〜凄い!!!!!皆さん夢中になって観賞。

たぶん!もう二度と見れないかもしれません!

また、未公開の錢痩鐵(せんそうてつ)の作品など、
貴重な一品の数々!びっくりしました。

錢痩鐵について
錢痩鐵は当時の中国において「篆刻三鐵(てんこくさんてつ)(苦鐵、冰鐵、痩鐵)」の一人と評された人物で、苦鐵こと呉昌碩(1844-1927)の弟子にあたります。
橋本関雪は、近代作家有数の印持ちであり実に500を超える印が今も白沙村荘に遺されています。この500を超える印の半数あまりは、錢痩鐵(1897~1967)という一人の篆刻家によって作られたものです。二人の出会いは1922年上海での初対面であったとされますが、その翌年には関雪が痩鐵を白沙村荘へ招き寓居を提供して彼の活動を全面的にバックアップする事となりました。

という記事を見つけましたので、抜粋して上記に載せときます。

副館長の橋本眞次様の解説を聞き予定外の鑑賞時間オーバー!

銀閣寺の見学をキャンセルして、バスの出発時間までのんびり庭園を散策。

存古楼の前にて、参加者で記念撮影!

橋本関雪記念館 白沙村荘を後に、

予定どおり?銀閣寺のバス駐車場を2時30分に出発。

次の目的地、紅葉の 「東福寺」へ

少しの渋滞でしたが、予定どうり東福寺へ到着!

通天橋の紅葉は有名で最後の紅葉を見る観光客が多数おられました。

そろそろ疲れてきましたので、サッサと見てバスへ!

バスが出発するとすぐに雨が降ってきました。
なんとツイている今回の旅行!

次は京都駅で、お土産タイムです。

京都駅で夕食のお弁当を積み込み、チョット気の利いた京都土産を調達し、
いよいよこの度のバス旅行の終了です。

帰りの高速道路も渋滞はほとんど無く、スムーズに神戸まで到着!
京都駅で数名の先生方は電車で帰宅とのこと、JRの方が早いと思いましたが、
今回は、バスで正解でした。

神戸三宮に近づく頃には雨も小降りになり、傘も必要ない位!
本当に今回の旅行は何から何まで、順調良く、
多少のスケジュールの変更はありましたが、最高の段取りでした。

お世話して下さった室田先生、松山先生、有難うございました。
これに懲りず次回もよろしくお願いします。

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第44回日展 開会式 テープカット

平成24年11月2日(金)

第44回日展 オープニングセレモニーとテープカットです。

どうしても見たいわけではないのですが・・・・

雑誌に掲載予定なので、頑張って前のほうに行き撮影しました。

※国内最大規模の美術公募展である第44回日展は

11月2日、東京・六本木の国立新美術館で開幕しました。

12月9日まで。 日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に、

合わせて3143点を展示しています。

オープン前には開会式が開かれ、

中山忠彦日展理事長が「昨年に続き東日本大震災からの復興に祈りを込めた作品が目立つ」とご挨拶されました。

河村潤子文化庁次長が祝辞を述べた後、

河村潤子・文化庁次長、青木保・国立新美術館館長、

中山忠彦・公益社団法人日展理事長のテープカットが行われ、

開幕となりました。

 

前日の内覧会で、作品は見たのでグルッと会場を一周・・・・

大重会長と自分の作品の前で記念撮影!

このまま東京観光でもしたい気持ちでしたが、

この日16時より金曜日教室のお稽古があり、

11時には会場を後にしました。

東京駅に向かい、子供たちにお土産お買い、

自分の駅弁を2つも買い!

 

 

 

 

 

 

 

牛タン弁当と上にぎりです。

富士山を横目においしくいただこうと考えていましたが・・・・・

残念ながら富士山は雲に包まれておりました。

新幹線に乗って無事、神戸に帰りました。

おしまい、おしまい